☆ Mファイル 2004 ☆

「念・忘・開」

 
  念・忘・開    投稿者:M    投稿日:2004年 8月

 『念・忘・開』
 文字の通り、成就したい「願い事」をありありと強く強く「念」ずる。
 念じたら「忘」れる。忘れるというより願った事柄を考えない。
 次は「願い事」を実現させる為の行動(仕事する。勉強する。情報を集める。)を
 すれば現実において「願い事」が成就(「開」)する。と言う事らしい。

 「念」の大切な事はあまりにも具体的詳細な内容の願い事でないことです。具体的な
 ことが沢山ある願い事は、必ず不安になってしまい失敗するでしょう。

 念ずる時は、細かい事、具体的な事を取り除いた願い事の「太い強いパイプ」とし、
 エネルギーの流れを良くしておきましょう。パイプの内部をどうするかは、総てエネルギー
 に任せましょう。

 そして一番大切なことは、「忘」ではないでしょうか。

 私達には必ず沢山の希望や夢があります。今実現したい願い事があり、「念・忘・開」を
 行ったとしても、毎日毎日あるいは暇ができるたびに、ココロや気持が揺れ動くたびに、
 希望が高く大きくなるたびに「願い事」を考え、思いをめぐらせます。

 そのたびに最初に念じた時の「願い事」と微妙に微妙にずれてしまっています。
 考えれば考えるほど願い事の内容や輪郭が一致していないはずです。より具体的に、
 より理想的に、より完璧にと考え想いをめぐらせるのでしょうが、ラジオ、テレビに
 例えるならばスイッチを入れるたびにチューニングしているようなものです。

 ですからいつも鮮明な音や映像が発現発動しないのと同じなのです。一度「念」じたら、
 あとは考えない、思わないことです。一度チューニングしたら決して変更しない、決して
 微調整もしないということです。ただ願望成就の為の前進行動あるのみです。

 知識もあり向上心、欲望がある以上、考えると言う事は「願い事(念)」がどんどん
 具体的そして理想的になっていきます。毎日毎日考えるという事は、毎日毎日
 「念・忘・開」の「念」をしていることになります。

 どの「願い事」を、つまり、どの「念」を成就すべきか、さすがにカミサンも
 イダイナルナガレも決めかねてしまいます。結局、総てが不確定となり、不鮮明となり
 円滑現象はもちろん、「念」の内容、事柄が何も起きないのです。
 「開」とはならないのです。

 一生懸命と欲張りの違いがここで明らかになるのです。そして、ヨクバリビトは、
 この世に神も仏もいないと悪態をつくのです。ガンバリビトは願望成就に向かって、
 毎日毎日自分の出来ること、成すべき事(それがどんなに小さな事あるいは直接
 関係ない事であっても)を確実に処理し、前進していくのです。
 気がつくと「開」、そうです願望成就なのです。メデタシメデタシ。

 みなさんの「念」「忘」「開」が「念」「忘」「開」   
     


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