☆ Mファイル 2006 ☆

 「いいですよ」と「だめですよ」「プラス言葉」


 いいですよとだめですよ  投稿者:M   投稿日: 2006年 2月

 先日テレビを観て感心した事が有りましたので、チョット、カキコしてみました。

 保育園で3時のおやつの時に園児をAグループとBグループに分け、
 Aグループには
 3時になったら、おやつのケーキを食べていいですよ。と告げて園児だけにしました。

 Bグループには
 3時まで、おやつのケーキを食べてはだめですよ。と告げて園児だけにしました。

 「三つ子の魂、百まで」ではないですが、子供の人格を創る大切な事として
 取り上げられていました。
 どれだけ違うか隠しカメラで園児の姿を捉えていましたが、その違いには本当に驚きでした。

 言葉としては、「いいですよ」と「だめですよ」の違いなのですが……。
 (以前にカキコした「勝つぞ」と「負けないぞ」の事も考え合わせてみてください)

 Aグループの園児達は、「いいですよ」と言われているので、食べる事が出来る安心感と
 ゆとりから、3時になるまで、ケーキの事を気にせず他の遊びをしていて、誰かが
 「3時になったよ」と言ったら、遊びをやめケーキを食べました。

 Bグループの園児達は、「だめですよ」と言われているので、ケーキの事が気になって
 落ち着きがなく、イライラしている様子が写しだされていました。
 遊びの最中にケーキの所に行ったり、遊びの手を止めて、ケーキを見たりと遊ぶ事に
 集中できないのです。

 同じ内容の事を表現し、伝えるにしても、受け取る相手のキモチやココロの事を
 思ってみませんか。

 自分のコドモをイイ子(良い子)に育てようと、どこの親も一生懸命なのは判りますが、
 あまりにも「ダメ」が多いのではないでしょうか。
 「ダメ」な事は「ダメ」なのですが……。

 「イイ子(良い子)」とは、どんな子なのでしょう。
 一言で言って、親の価値観に従う「都合のイイ子」「便利な子」の様な気がしています。
 現代の親は、自分に「都合のイイ子」「便利な子」を育てているのではないでしょうか。
 でも、親にとって都合のイイ子は、社会にとってイイ子なのでしょうか。

 「イイ子」は、将来大きく成った時、自分で考え、自分の言動に責任を取るのでしょうか。
 「ダメ」と言われた制限や拘束などを、自分の考えと責任で越える事が出来るのでしょうか。

 言葉を選んでみませんか。言葉を大切にしてみませんか。
 なぜならば、言葉が「自分の人格」はもちろん「相手の人格」を創るからです。


 

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