暮らしの基準も自分で工夫することで、楽な暮らしにしていけると思ってる

 真っ赤♪と真っ白♪


モノが少なくて、すっきりしてる。だけど、どこに何があるかわからなくて、不便。
そう、「整理=しまいこむ」を優先すると、こういうことが起きる。
「しまう先が定位置」の順番が低いと、まさかが起きる。

生きてく、暮らしてくということは、毎日のように、何かしら家にモノが入り、消費され、
何かしら出てく。この連続。

一番多いのが、食に関すること。それから、通信関係も、そこそこある。
メールでのお知らせも増えたけれど、公共的な支払いは、今も紙ものだしね。

モノが増えていく一方の日々に、ちょっとストップしてから、
どこになにが、どれくらいあるのかと、視点と発想が変わった。

ストックは必要だけど、ギリギリの線で、増えすぎに注意してる。
基準の見直し、時々、必要。

「またいつか使う」。そんな日が来ない事も、経験を積んでく。

手に入れた。「それで目的達成した」と、考えを変えることもしてる。
目的達成は、使うことではなく、ストレス発散のほうね、だいたいね。

買物は狩りの面があるので、買うと満足する。使う、使わないは次点。

必要なモノだけを買うなんて、そんなことはない。これはなんだろうと、
好奇心で購入するものも、けっこうある。必要と思って購入しても、使わないこともある。

暮らしが、そういうものだと、教わったことがない。過去の歴史において、
一般人が、持ちきれないモノを持つのは、今が初めての時代なので。

遊牧民だった頃は、自分が持てる分しか持ってない。
定住化しても、自分や家族が使う分だけしか持ってない。
そもそも、生産性が、そうは高くなかったしね。

この先も、どんなふうに文化が変わってくのか。お手本も正解もない。
だけど、自分や家族の安全を考えると、「これだけは」という基準が見えてくる。
ひとりひとり異なる、その基準。自分で工夫することで、楽な暮らしにしていけると思ってる。
こういうのも、脳トレさっ(^^)

宇宙エネルギーたっぷりで、今日も楽しんでゴー(^^)

今日も、宇宙エネルギーたっぷりで、正常元気でゴー♪安全無事でゴー♪