日常史って、後世に残りにくい、伝わりにくい
先日、江戸の本を読んでたら、正月について、こう書いてあった。
>江戸時代の人々は、1月1日は休んでた。
>疲れを癒してた。ゆっくりしてた。
>あいさつ回りは、1月2日から。
江戸の人も、正月の、ついたちは、休んでたんだね。
子供の正月のあそびも、いつしか伝わらなくなってる。
羽子板による羽根つき、凧あげ、百人一首、などなど。
環境や社会構成が変わり、外遊びができない状況に。
もちろん、そういったあそびを伝えていく取り組みもある。
それも大切な文化だよね。
昔の高学年の小学生男子は、「肥後守」という
折り畳み式の小ナイフを持ってた。
そうそう、あったなあ。
自分で色々作ったよ~。
これで、竹ひごを削り、自分で凧をつくった。
竹ひごを組み合わせて紙を貼り、飛行機もとばしてた。
こうして手先の器用さが磨かれていったのだけど、
いつしか、どんな理由か(想像はつくけど)、
持ち物リストから消えていった。
今も、浮世絵で、羽根つきの絵も凧あげの絵も
見ることができ、それが何であるかわかる。
絵に描いてあることが、今も情報として伝わってるから。
けれど1000年後、一万年後の人々は、わかるだろうか。
なんたって、今は電子データだし、情報を伝える・残すのは
紙や石などの、モノじゃなくなってるしね。
と、色々考えてると、口伝えっていうのも、ありかもしれない。
他に、なにがあるかなあ。これも立派に、脳トレだね(^^)