見てるというのと、認識してるというのは、別

 北彩都ガーデンで。


見てるというのと、認識してるというのは、別。
なんなら、試しに、パンダの白黒の絵を書いてみて(^^)

黒い所はどこだ?耳は、しっぽは?と、思い浮かべて、答え合わせしてみよう。
合ってるかな。思いもしないところが、黒かったり、白かったり。

先日、パンダの動画を見てて、必死に、色の配置を覚えたの。
動きがかわいい。というのは無視して(笑)、がんばってみたの。で、たぶん、覚えたと思う。

意識しないと、見てるようで、見てない、覚えてない。
あ、角地が空き地になってる。ここには、なにがあったっけ?
見てるのと認識してるのが違うと、こういう現象も起きる。

パンダを見て、あ、パンダ!と、これはわかるけど、その逆で、パンダを描いてとなると。
あれれ?みたいなことが出てくる。けっこう見てるんだけどね。
記憶の引き出しには「全体像としてのパンダが入ってる」けど、細かい部位は、あいまい。
そういうこと、日常にもあるなあ。

そしてね。この「見てる」とか「認識してる」にも個人差がある。

家族と、隣の通りにある、「赤いドアの喫茶店」で待ち合わせしよう、なんて時に、
そんなのあったっけ?見た事ない、なんて返事が家族から来た時に。
>先週も一緒に、前を通ったのよ。あなた見てないの?
>そんなのがあるなんて、見た事がない。

赤いドアの喫茶店。特徴があるように思えるけど、興味のないひとには、スルー案件。
こういう時には、ぷりぷりしても仕方ない。
>どこなら知ってるの?どこならわかるの?
と、相手が認識してるところで待ち合わせをするのが無難かも。

パンダは覚えたから、今度は何にトライしよっかな(^^)
今日も楽しいこと、いっぱいあるよ。宇宙エネルギー流しながらゴー♪

今日も、宇宙エネルギーたっぷりで、正常元気でゴー♪安全無事でゴー♪